うちで買った絵本を紹介するシリーズは、「おおきな木」です。親が与えたい本は、いいタイミングで、おねえちゃんのお気に入りになりました。
間があいてしまいましたが、絵本を買わなくなったり、読まなくなったりしているわけではありません。まして、ネタ切れなどということもなく。
本というのはおもしろいですね。
まだまだ紹介して、記録に残さなければいけない本がたくさんあります。
今日は「おおきな木」。
自分としては、大人になってから出会ったとはいえ、すごく思い入れのある本です。
「おおきな木」は、村上春樹さんの訳
というわけで「おおきな木」です。
知る人は知る、だと思いますが、村上春樹さんの訳なんですね。作者はシェル・シルヴァスタインさんなんですが、どうしても村上春樹さんの訳というのが頭についてしまう気がします。
私が高校生のころ、村上春樹さんにはまりましたが、当時は、村上春樹といえば、ミーハーで軽い、という印象がありました。だから、あんまり村上春樹が好き、とかいえなかったですね。
確かに、短編集とかは軽い楽しさもありますが、その根っこの部分にはそうでないものがあるのは明白なんですけど、当時の、特に文学好きな人たちからは、そういう評価ではなかったような気がします。
「羊をめぐる冒険」とか好きでした。
若い頃は授業でも扱いました。「蛍」ですね。「ノルウェイの森」のもとになった短編ですね。情景描写が多くて、心情そのものを扱う語が少ないので、情景や比喩から心情を読み取っていく読みの練習にはもってこいなんです。
というわけで、絵本を買うとなったら、「おおきな木」は買って与えたいところでしたが、なかなかほしいと言わずに、難しかったんですが、ある日、突然、「これ、ほしい!」ってなったんですね。
「おおきな木」と少年のストーリー。
※大きな画像は絵本ナビの作品紹介へのリンクです。
おおきな木はリンゴの木です。少年と小さいころから一緒にいます。
葉っぱであそび、きのぼりであそび、リンゴを食べて、かくれんぼもして。
彼が大きくなっていけば、恋人との語らいの場も与えます。
でも、いつしか少年は大人になっていき、リンゴの木が与えるものも変わっていきます。
リンゴを与えてお金に換え、そして枝を与えて家を与えます。
最後には、彼に、木そのものを与えて…
そして、老人になった少年が戻ってくるというお話です。
愛、そして与えること。そして生きるということ。
この絵本自体、教育に携わっていると、考えることが多くなるようなそんな絵本なんですが、親になって子育てをしていくと、この本の持っている意味がまた別のものに感じられてきます。
まあね、何が正解かはわからないですけどね。
でも、愛と与えることって難しいテーマですよね。たとえば、この絵本のおおきな木を、親というように置き換えて読むこともできるわけです。何が正しいかはわからないし、「腰掛け」になるというのは、もしかしたら「死」のあとに訪れる見守りかもしれないし。
自分がおおきな木のように感じる一方で、自分自身がまだそういう意味では少年の状況でもあるわけで、その時、親としての自分は、たくさんの人たちから与えられた大きな木からの贈り物に、気づきながら生きているだろうか、という視点もふと思ったりします。
与える方は、意識するけど、もらっていることって気づきにくいですよね。
「おおきな木」はお姉ちゃんのお気に入りに。
とりあえず、お姉ちゃんは、この本がお気に入りの一冊になりました。最近は、ともかくも恐竜の話にはまっているきらいはありますが、でも、なんだかわからないけど、この話は好きみたいですね。
どこが好きなのか、何が好きなのか、いつまで好きなのかわかりませんが、こういう本が本棚にならんで、何かの拍子に、また読み直してくれたりしたらいいなと思います。