今日は、3歳になるあたりから、自分が読ませたい本を買い与えたという話です。最初は、「100万回生きたねこ」です。
読んでほしい本、読ませたい本~親としての思い
教育を仕事にして、しかも国語教員なんていうものを仕事にしてしまうと、子どもに読んでほしい本、読ませたい本なんていうものが相当数できてしまいます。
そんな仕事をしていなくたって、こんなブログにたどりついてしまうあなたには、きっと、こんな本読んでほしいな、買ってあげよう!という本がきっとあるはずだと思います。それが、国語教員なんてやると、たくさん出てしまうわけですね。
自分の好みの本。こういう本は読んでないとまずいというような本。教育的な観点から読ませるべき本…。
なんだか思いばかりが先行してしまって、空回りするような感じなんです。というのも、どうも自分が読ませたい本は、ある程度自分が記憶に残している本、あるいは大人になってから見つけた本で、小さい頃に読んだ本なんて、どうも全部忘れてしまっているようなんです。
というわけで、何度か子どもに「これ、どう?」なんて見せて買わせようとするわけですが、「いらない」と言われて終わってしまうわけです。
まあ、確かにむずかしいしね。まあ、あとでいいか、なんて自分に言い聞かせて耐えるわけです。
それがはじめて成功したのが、この「100万回生きたねこ」です。
100万回生きたねこ
「100万回生きたねこ」は佐野洋子さんの絵本で、命と愛を考えるには、ほかにないぐらいの作品です。
※大きい画像は絵本ナビへのリンクです。試し読みができます。
その猫は100万回生き返る、つまり100万回の人生(猫生?)を生きているわけです。あるときは船乗りのねこ、あるときはサーカスのねこ、あるときはどろぼうのねこ…。みんながねこをかわいがり、死んだときには泣くわけですが、生き返ることになれている猫は、死ぬ事なんて平気なんですね。
でも、あるとき、ねこは一匹の白いきれいなねこに出会う。そして、こどもを作り…。そして、そのパートナーの猫が死んだとき、ねこは100万回泣いて、そして、死ぬ。けれどもう生き返ることはないという、そんなお話。
重いし、深いし、受け止めるのも大変ですね。
うちの子どもと「100万回生きたねこ」
これを欲しいと言わせるには、まず、本屋で読まなければいけません。彼女にとっては、よく知っている保育園で読んだ本がほしいわけで、それに勝つためには、中身を理解させないといけない。幸い、動物が主人公ですから、彼女の好みの第一条件はクリアしているんですけど、中身が重いですからねえ…。笑いとか驚きが好きな三歳児に気に入らせるのはなかなか大変なわけです。
実際読んだところ、思いの外最後まで集中して聞けたのは驚きでしたが、最後に買おうとしたら、「こわい」と。
たぶん「死」っていうものを、三歳児なりに受け止めたんだと思います。まあ、それはそれで、素晴らしい感想で、そうか、やっぱり重いんだな、なんて思って、もう少し経ってからでいいかなと思ってその場をあとにしました。
ところが、です。しばらくしたら、「ねこ」がほしいといいだしまして。たぶん、買ってあげる、と言っていたから、ほしいということだと思うんですけど、はじめて読ませたい本を買うことに成功しました。
その後はたまに「読んで」とせがんで、寝る前に読んでいます。お父さんの読みはたいていふざけるんですけど、これはちゃんとまじめに読んでいます。
うれしいですよね。
こういう話を真剣に聞いてくれて。いつか、彼女の心の中に、この話が根付いたらいいな、と思います。