絵本の真似び(まねび)

子どもが読んでいる本を紹介していきます。

「じてんしゃにのるひとまねこざる」でジョージは自転車を壊し、そのおかげでサーカスに!

お姉ちゃんに続くおさるのジョージブーム。今日は「じてんしゃにのるひとまねこざる」です。

 

まだまだ続く「おさるのジョージブーム」

お姉ちゃんにひたすら続くおさるのジョージブームです。いや、続くどころではない。激しさをましている、といっていいでしょう。どうして、3歳児はここまで「おさるのジョージ」にはまるのか?まったくわかりませんが、どうやら彼らのキュリオス=好奇心がジョージとほとんど同じなんだろう、ということだけはわかります。

ジョージは意外と器用で、いろんなものを自分で作りますよね?ああいうの好きなんですよね。

昨日は、保育園でこいのぼりを作ってきたらしく、それを自慢げに見せてくれました。まもなく1歳になろうかという弟も作ってきたらしく、もちろんほとんど先生が作ってくれていて弟はそれに色をつけてみただけらしいのですが、それでも大のお気に入りでずーっと離さず持って振り続けていました。今日も朝からそれを手にしてご機嫌。自分で作ったっていうのがあるんでしょうかね。

お姉ちゃんは、お姉ちゃんで、それが気に入らないみたい。なぜかというとお姉ちゃんは自分で作ったからすごくシンプルなんですよね。だって3歳児が作るんだから。それに比べて弟は先生が作っているから、立体的で、飾りのきちんとついた鯉のぼり。それがいやみたい。しかも、弟が喜んでいるから、親が弟をほめちゃうじゃないですか?そうすると、「これは先生が作ったんだよ」と教えてくれるわけですね。

さあ、今日は土曜日なので「ジョージの日」。アニメの放映日。きっと朝から繰り返し見ていることでしょう。私は仕事ですけど。

 

「じてんしゃにのるひとまねこざる」

とにかく、ジョージの絵本をどんどん紹介していきます。実は、ジョージの絵本はまだまだ家にありまして…。もちろん、他の絵本も買っているんですが、最近はこればっかりなので、これを紹介していかないと、次にうつらないような気がしています。

「じてんしゃにのるひとまねこざる」は「ひとまねこざる」シリーズ、つまり、H.A.レイの手によるシリーズです。

※大きい画像は絵本ナビの作品紹介へのリンクです。

ジョージが念願の自転車をおじさんからもらって、でかけます。

まあ、こうなるとcuriousなジョージがあっという間に発揮されます。新聞配達頼まれてはじめますが、何の躊躇もなく、船にして流します。この話、確かアニメにもなってました…。見ました…。おい!って感じですが、まあ、しりたがりとしては、川がある。あひるが泳いでいる。船を流してみたい。新聞で船が作れる…となるんでしょうね。

これがすごい。おさるのジョージを見て、あるいは読んで思うのは、作者や作者の思想をくんだ方々が、こういう感じをよくとらえている、ということです。なんだか、ここが日本人には決定的にかけている部分のような気がします。

教育とか、子育てとかは、個性とかその子の能力を探すとかいいながら、結局、こちらの枠組みに入れいく作業をしている。だから、こういう話が描けないというか、気づけないというか…。

子どもと遊んでいると確かにわかるんです。意味とかルールとかでなく、ただ「おもしろい」とか「何これ?」で夢中になるんですよね…。でも、子育てとか教育とかになった瞬間、なんだか決まった型の中に入れ込んでいくんですね。

欧米がいいのかどうかわからないけど、これは結構決定的な差のような気がします。

www.manebi.tokyo

上の話でも書いたんですけど、結局、日本という国は、子どもは親の責任なんですよね。親が管理するべきというか。芸能人の不祥事、凶悪犯罪ともなれば、すぐ親のところにマスコミが押し寄せる…。親が子供の責任を持つということなんでしょうけど、裏を返せば、決定的に子どもと別人格であるという視点が欠けていて、だから家庭でも体罰禁止みたいなことになれば「う~ん」となる。

ジョージを見て、読んで思うのは、ジョージがキュリオスして、何かをやらかしても、周りの人は黄色い帽子のおじさんは責めない。怒るとしたらジョージであって、場合によっては怒らないひともいる。絵本だとピスゲッテイさんは怒らない方で、グラスさんは怒るほうですね。要するに、周りの人がみんな、子どもとじかに接するわけです。

新幹線とか電車で子どもがうるさいと親を責める日本とは大違い。

欧米がキュリオスとほめて注意しないわけではないですよ。ジョージが図書館でにわとりの卵をかえしたときは、図書館の人はカンカンになって、追い出しますからね。

ジョージだって、ちゃんと反省するんですよ、結構。今回だって、ダチョウのあととかね。「たこをあげるひとまねこざる」のときなんて、うさぎ逃がして結構な反省モード入るし。まあ、今回の自転車みたいに、あっという間にきりかえちゃうことの方が多いけど。

いや、どっちがいいとかではないんです。ただ、欧米的な感覚が、ある意味で本当のキュリオスを育てるんだなあ、と教育的に思うわけです。

もちろん、その代償はありまして、この本の場合、「新聞が川に流される」「自転車が壊れる」「ダチョウが死にそうになる」です。で、キュリオスした結果が「こぐまが助かる」です。

確かに電車でうるさい子どもがいたら、バンと注意する大人もいれば、一緒に遊んじゃう大人もいるだろうし、だとすれば、多少、騒がしくなりそう。

そもそも、黄色い帽子のおじさんだっているときは、ちゃんとジョージを言い含めますから、親がスマホいじってほっとくのとは違いますね。いなくなると、やらかすんです。「いいかい。いい子にしてるんだよ」といって出かけるわけで、ダチョウ倶楽部的なふりにさえ、最近は見えてきます。

でもね、たぶん、周りの人が親を責めるという日本とは違うんですよね…。日本人はそもそも親のせいなんですよね、きっと。

いや、難しいですけど、こういう視点を持てるのは教育に携わるものとして、勉強になります。個性を認めているようで、やっぱり枠の中に入れようとしている自分に気づきますから。

自転車がこわれたって前輪使わなきゃ乗れる!っていう発見をするのがジョージですからね。切り替えちゃうんです。これでサーカスに行けるわけだし。

さて、これと関係があるかないかはわかりませんが、お姉ちゃんは「自転車」をほしがっておりました。結構前から。年齢的には三輪車かストライダーだと思うんですけど。でも、なんとか足がつくようになりまして、先日、念願の自転車をババに買ってもらいまして、今は自転車で出かけるのが大好きです。

ジョージの服を着て、自転車をこいでいるとしたら、それは私の娘かもしれません。

いくらキュリオスだといっても、道で曲乗りしたり、全力で漕いで石にぶつかったりはしないでほしいなあ、と切に願います。