今日はいまさら感の強い、書くまでもないかもしれない「きんぎょがにげた」をどんな風に読んでいたかを紹介します。
実は「きんぎょがにげた」を知らなかった私。
「きんぎょがにげた」を知らない人はいないでしょう…なんて、今となっては書いてしまいたくなりますが、実は、知らなかった一人が私です。
そうなんですよね。絵本て読む時期が限られているし、私がこどものころは今みたいに情報もなかったし、与えられたものをずっと読んでいたわけで、知らないものはいっぱいあるわけです。
だから、恥ずかしがらずに。
私の場合、「はらぺこあおむし」も知らなかったし、「きんぎょがにげた」も知らなかった。
だから、いいんですよ、知らなくて。
もちろん、大人になって、自分が絵本にはまったり、読み聞かせなどに関わって絵本にすごく触れていたり、子育てが一通り終わって絵本に詳しくなったりして、このブログにたどりついた人もいるかもしれませんが、子育てに直面して、はじめて絵本と向き合っている、という人に参考にしてもらえたら、うれしいので、書いちゃいます。
「きんぎょがにげた」と「私」との出会いはおくさんとの会話でした。
「今日ね、図書館の絵本コーナーでね、「きんぎょがにげた」をよんだらね、おねえちゃん(まだ弟おなかにもいないですけど、すいません。書く都合上。)、全部、きんぎょみつけられるの!」
私、正直言ってなんだかわかりませんでした。
「え、きんぎょみつけるってどういこと?」
「池でもあるの?」
たぶん、心の中ではなくて、本当にそう聞いた気がします。おねえちゃんはおさかなが好きで、近くのショッピングセンターの熱帯魚の水槽から離れずに、熱帯魚の購入を検討したぐらいですから、図書館に池とか水槽とかがあって、金魚を見つけた、という話かと思ったんです。
それにしても、「みつける」ってどういうこと?そもそも「逃げた金魚」って何?
頭の中はクエスチョンマークが飛んでいたような気がします。
会話していくうちに奥さんの方が気が付きました。
「『きんぎょがにげた』っていうのは絵本!知らないの?有名なのに」
まさか、本のことで負けるとは思いませんでしたが、とにかく「きんぎょがにげた」もみたいし、みつけるところもみたいし、行くことにしました。
まあ、「きんぎょをみつける」っていうのがどうもしっくりこないんですけどね。
図書館にあったのは大型本の「きんぎょがにげた」
図書館で探してきたのは大型本の「きんぎょがにげた」。
五味太郎さんじゃないですか。五味太郎さんなら知ってます。「さるるるる」の人ですよね。でも、どうも「きんぎょがにげた」の方が有名らしい。「さるるるる」は見つけられないけど、「きんぎょがにげた」は何冊もあるし、大型本がある。きっと、読み聞かせ用なんですね。すごいなあ、今の時代。
「きんぎょがにげた」は、要はすいそうからかわいらしいきんぎょがにげるんですね。で、部屋の中に同化して、あめだまにまじったり、カーテンの模様にまじったり、てれびの画面にはいったり…。おしゃれな絵なんですけど、決してみつけにくいわけでもなく、よくできているなあ、と思います。
で、これがすぐ見つける。自分の子どもながら。
これがうれしくて仕方ない。親ばかです。
図書館からすぐ本屋にいって、買っちゃいました。家でやりたくて。
やっぱり、1歳から2歳ぐらいって、まず絵なんだなあと思います。あと、単語。
だから、「〇〇どこだ?」とか「これなあに?」とかっていうのに、ものすごく時間をかけて遊んだ本です。
話し出した最初のころだから、たぶん1歳から2歳になったばかりのころのお気に入りでした。
最初のうちは、「きんぎょどこだ?」で、あとになっていくと、「これなあに?」っていう感じ。
どうでもいいんですけど、これ検索かけてると、グラニフのシャツがひっかかるんですよね。
グラニフはお気に入りでおさるのジョージとか買ったんですけど、きんぎょは絵本はお気に入りなんですけど、シャツは買ってくれません。かわいいと思うんだけどなあ…。女の子は気に入らないと着ないから、買いませんけどね。