今日は「ちいさいおうち」です。自分の読んだ絵本を娘に読んだ話です。
絵本の中での自分の記憶は、この「ちいさいおうち」に象徴されます。それを娘に渡した話です。
自分がこどものころの絵本の記憶
自分がこどものころにどんな絵本を読んでいたか?
うちは、首都圏の核家族家庭。幸いな(?)ことに両方の祖父・祖母、親戚一同も、首都圏にちらばっていて、みんなサラリーマン核家族というような状況でした。
というわけで、まずは、自分がどんな絵本を読むかというのは、ほとんどうちの親にかかっていました。
でも、母方の祖母が本が大好きだったこと、母方に幼児教育に関わっていた親戚がいたことなどから、すごく本をもらっていたんだろうという記憶があります。
でも、実際、どんな本を読んでいたのか?と考えると、ほとんど記憶がありません。
確か、日本の昔話と、世界の名作の、レコードかなんかがついていた本の全集シリーズがあった気がする…「おおきなかぶ」の横長の本は記憶がある…なんていう感じで、いったい、どこでどんな本を読んでいたかあんまり覚えていないんです。いっぱい本があったっていう記憶はあるんですけど。
そんな中で、本の形、色、表紙、絵などをしっかり覚えているのが「ちいさいおうち」です。たぶん、おぼえているのは当たり前で、うちに残っている数少ない本だからです。これと同じ形で記憶にあるのは「ちびくろさんぼ」ですね。たぶん、同じシリーズなんだろうと。
でも、こっちは手元にありません。
自分が読んだ絵本で、手元に残っているのは、この「ちいさいおうち」とぼろぼろになった、表紙もついていないディズニーの絵本シリーズ数冊ぐらい。
たぶん、もらった絵本だから、親が次のうちにあげちゃったんですよね。
というわけで、この数少ない絵本が、自分の数少ない絵本の記憶に置き換わっています。
でも、こういう本が手元にあって、それが娘にいくって、なんだかうれしいですね。
そうそう、おくさんが、おばあちゃんに買ってもらった麦わら帽子がとってあって、去年はそれをかぶっておでかけしてました。なんだか、うれしいものです。
物にこだわっても仕方ないけど、引き継いでもらえるのはちょっとうれしい。
「ちいさいおうち」
「ちいさいおうち」は、小さいおうちの物語です。いなかの丘の上に建てられた小さいおうちは、そこでこどもたちと一緒に四季を楽しみます。
季節が流れていくうちに月日も流れます。トラックがやってきて、道を作り、町を作り、どんどんにぎやかになっていくうちに、ビルができて、鉄道ができて…。
空も見えなくなり、誰もちいさなおうちに気が付かなくなり…。
でも、昔、このちいさいおうちで遊んだ記憶のある人が、これはおばあさんの家だと気づき、ちいさいおうちは、引っ越しをして、また丘の上に住むようになるんです。
最後の画像が絵本ナビへのリンクですので、どうぞ。
自分の記憶では、家が引っ越しをする、というのが衝撃的で、でも、どんどん開発されて都会になって、自然が失われていくというのは、今もそうですけど、話としてはすごく記憶に残っています。
自分としては、これだけ記憶に残っているのは、自分で何度も読んだから。表紙のうらにへたくそな字で自分の名前と「1年8組」と書いてありましたから、小学生のころ、これはぼくのだ、とマーキングしたんでしょう。
たぶん、そのころ読んでたんですね。
娘には当然読み聞かせ
それはそうとして、娘はまだ2歳ですから、読み聞かせです。
絵よりも字が多いぐらいの、2歳にはちょっと長いくらいの話ですが、やっぱり絵はきれいで、イメージもしやすく、まあ、ちょっと長くなると、私が読むのを待たずにはやく次のページに行きたがりますが、なんとかついてこれるようです。
娘に読みたい本、聞かせたい本って何冊か頭の中に浮かんでいたんですけど、あらためてチェックすると、長くて、字の多い、相対的に絵が少ない本が多いんです。
だから、なかなか読めませんでした。
きっと、印象に残ったのは、自分が「字を」読んだ本なんでしょうね。だから年齢的には小学生にあがる前くらいだったのかもしれません。
そう考えると、読み聞かせた本を、彼女たちが覚えているかどうかは微妙なところ。でも、覚えていなくてもそういう体験が、無意識のどこかで、言語体験として、あるいはストーリーとして、根付いているんだろうな、と思うと不思議です。
そう考えると、自分のこうしている中にも、親に読んでもらった私の忘れている物語たちが根付いているんでしょうね。
いつか、こういうブログを子どもが読んで、「こんなの読んでたんだあ」と思う日がくるのかもしれません。
うちにある「ちいさいおうち」は縦書きです。本屋で見たのは横書きでした。だからちょっと優越感。古いぞって。
ストーリーもそうですが、時代はどんどん進んで、自然は切り開かれて都会になっていくし、そうなるといろんなものが失われていきます。でも、その中でも、ひきついでもらえるものもきっとあるはずだし、それを見落とすのってもったいないですよね。
私の目の前には、「ちいさいおうち」っていう本しか残っていないけれど、それ以外にも私を私にした本がいっぱいあったはずで、そんなものを意識できる自分でありたいって思います。
いまや、こどもたちに自然いっぱいの中で毎日を過ごすようなことはできないかもしれませんが、「ちいさいおうち」を大切にするような感性だけはなんとか引き継いであげたいな、と思います。